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80代後半の今も正確な寸法の型枠工事にこだわり続ける現役社長 大阪府高槻市「西森工務店」

この情報は2024年9月3日時点の情報となります。

    西森工務店は、大阪府高槻市を拠点に、長らく関西一円のビル建設に携わってきました。経営するのは、高知県高岡郡佐川町出身の西森瀧一郎さんです。

    西森さんは、80代後半の今も現役社長であるだけでなく、自らフォークリフト車を運転し、ハンマーを握る現役の職人でもあります。

    20歳で故郷の高岡郡佐川町を出てから今日に至るまで、どんな道のりを歩んでこられたのか。その過程と、約半世紀にもなる会社の歴史を西森さんにお聞きしてきました。

    すべてが手作業  建物のコンクリート部分を作る型枠工事

    -工務店や建設会社には、それぞれ専門があると聞きます。西森工務店ではどのような工事を担当してこられましたか?

    西森さん:ビルの建設は、さまざまな工事の組み合わせです。高いところでの作業のためにパイプや丸太などを組む足場工事、コテを使って壁や床を塗り上げる左官工事、壁や柱の中の芯(しん)となる鉄筋を組み立てる鉄筋工事などがあります。

    西森さん:うちでやっているのは、型枠工事です。板で枠を組み立てるところから始まって、その枠の中にコンクリートを流し込みます。そのコンクリートが固まって、板を取り外すところまでやって終わりです。

    これで建物の基礎部分から、柱、梁(はり)、壁、床などまで作ります。いわゆる躯体(くたい)で、いずれも建物の形や強度を保つ重要な部分です。

    -型枠工事では、どういった機械、あるいは器具を使うのでしょうか?

    西森さん:すべて手作業で行います。というのは、柱にしろ、壁にしろ、型枠もそれに合わせたものにしないとダメなんです。ほんの少しでも狂いがあると、強度が保てません。一般的に、垂直方向の場合で許される誤差は最大3mmです。だから、規格化できないし、機械化もできません。

    -職人さん……つまり、西森さんの経験と知識、そして腕にかかっているわけですね。西森工務店が請け負ってきた案件の一例を教えていただけますか?

    西森さん:会社は高槻市にありますが、大阪府だけではなく、京都府、兵庫県などの工事も請け負ってきました。建物の種類としては、マンションのほか、個人の住宅や学校施設、役所などです。

    大阪万博のすぐ後に起業  高度経済成長に乗って成長する

    -どういった経緯で大阪に来られたのでしょうか?

    西森さん:昭和10年2月生まれで、8人兄弟の4番目でした。生まれたのも育ったのも高岡郡佐川町です。地元の定時制高校を出てすぐに、大阪に来ました。早い話が、兄弟が多すぎるための「口減らし」ですよ。

    農業機械を作る久保田鉄工(現・クボタ)で工員になりました。昭和30年のことです。公害もすでに出始めていて、空気の悪いのにびっくりしたのを覚えています。

    -それから建築関連の仕事を始められたのはいつ頃のことで、どんなきっかけがあったのでしょうか?

    西森さん:35歳ぐらいのときでしたか、妹が結婚して高槻に住んでいて、その夫から「型枠工事を覚えないか」と誘われたのがきっかけです。その人に弟子入りしたのが、この世界で生きていく始まりでした。

    -機械製造の工員から建築仕事に変わる決め手は、何だったのでしょうか?

    西森さん:一言で言えば、待遇の良さです。久保田鉄工の月給は2万円ぐらい。そこに「5万円出すぞ」と言われれば、そりゃ飛びつきますよ。

    -知らない世界へ飛び込むことへの不安はなかったですか?

    西森さん:実は、私の父親も建築関係の仕事をしていたんです。田舎のことで、しかも昔ですから、大工とか左官とかの区別もろくになくて、家を建てるのも、道路を作るのも、なんでもやっていました。

    それを見て育っているので、建築関連にも親しみがあったような気もします。

    -そうでしたか。弟子入りされて、それからご自身で会社を興されたわけですが、いつ頃独立されたのでしょうか?

    西森さん:43歳のときだったかな。ちょうど大阪万博(EXPO’70)のすぐ後ぐらいで、景気がよかったんですよ。いくらでも仕事がありました。いわゆる高度成長期です。

    -そのような中では、お一人でお仕事をこなしていくのは大変そうです。社員を雇うなどされていたのでしょうか?

    西森さん:社員は当初は、高知県出身者を雇いました。6人ぐらいだったかな。やはり、郷土が同じ人間は、気心が知れてやりやすいですよ。強情だけど、責任感が強く、裏表がない。仲間も大事にする。高知の人間は、現場仕事のうちにはもってこいです。

    ただ、社員数が増えるにつれて、だんだんと高知の人間ばかりとはいかなくなりました。

    今後の事業展開について

    -会社はどのように経営してきたのでしょうか?

    西森さん:従業員は最大で60人ぐらいいました。昭和が終わるころですね。今は4、5人です。私ももうすぐに87歳になるので、あと何年もやっていることはないでしょう。できれば、だれかに会社を引き継いでもらいたいと思っています。

    -いま改めて経営者として、あるいは職人として振り返ってみて、どんな思いがありますか?

    西森さん:経営者として長年やってきましたが、あまり利益を目指したことはありませんでした。とにもかくにも、「正確なものを作る」ばかり気になっていましたし、社員にもそればかり言っていました。

    いつだったか、大阪市の中学校の体育館を建てたときに、完了検査をした担当者が「ここまできっちり寸法を合わせて建てているのを見たことがない」とびっくりしていました。

    手が抜けないのは、やはり高知県人の気質でしょうね。大阪に出てきてから60何年経っても変わりません。損得勘定ができなくて、ひとつのことに熱中しすぎてしまうんですよ。よく会社をやってこられたもんだと思います。

    高知県への想い  高知県人としてのプライド

    -高知県に対してはどのような思いがありますか?

    西森さん:高知への愛着はあります。スーパーマーケットなどで、高知産の野菜や魚などがあれば、やはり優先して買ってしまいます。カツオのたたきなんか、とくにそうですね。

    だけど、お酒だけはあまり飲まないんですよ。高知の人間らしくないといえば、らしくありません。あまりに周囲に酒飲みが多かったせいかもしれません。父親や兄弟がよく飲むので、「せめておれぐらいは、母親に酒のことで心配をかけてはいけない」と思って、こうなりました。

    -ご家族を大切にされている気持ちが伝わってきますね。

    西森さん:故郷へも、年に2回程度は帰っていました。ただ、この年齢になると、知り合いも減ってしまって、この5、6年は足が遠のいています。

    -コロナ禍もあり、なおさらかもしれませんね。いまも故郷を大切にされている西森さんが、他県の方に高知をおすすめするとしたら、どんなところを勧められますか?

    西森さん:場所でいえば、やはり高知市の桂浜です。私の出身地の佐川町にも近いんですよ。景色がよくて、とくに月の名所として知られています。実は、さんずいが付いている・ついていないの違いはありますけど、私の名前の「瀧」も坂本龍馬の「龍」にちなんでつけられているんです。

    どうも父親が龍馬のファンだったようです。「龍馬の人気が出たのは、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(昭和43年)がきっかけだった」といわれていますが、地元ではもっと前から人気がありました。私が生まれる7、8年前の昭和3年には、桂浜に龍馬の銅像も建てられていたぐらいですから。

    企業情報

    有限会社西森工務店

    事業内容:建設業(型枠工事)

    社長:西森瀧一郎

    住所:大阪府高槻市中畑寺谷10

    電話:090-3284-4490