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「山陽立地株式会社」誕生秘話 高知県人会との出会いが創業のきっかけに

       

この情報は2022年3月4日時点の情報となります。

    「山陽立地株式会社」は、企業専門の土地仲介事業を営む、兵庫県明石市にある会社です。

    代表を務めるのは、津野伸一さん。同社は1991年より、土地を所有しないというユニークな方法で工場や商業用土地などを斡旋。

    それ以前は皿鉢料理店を営んでいたのだとか。飲食業から全く畑違いの不動産業に転身したエピソードと会社の成長について、代表の津野さんにお話を伺いました。

     

    高知人の父の跡を継いで飲食店経営 不動産業に至るまでの道のり

    ─起業した経緯について教えてください。

    津野さん:山陽立地は、企業立地専門の不動産仲介業です。工場やパチンコなど、大きめの土地の仲介をしているため、自社では不動産を所有していません。顧客のご要望に合わせて、最適な土地を探しだし、マッチングしています。買い手が欲しがるものをプレゼントするので、サンタクロースみたいなものでしょうか。

    ─不動産を持たない不動産屋とは、とてもユニークな取り組みですね。どのようなきっかけで不動産を扱うようになったのでしょうか?

    津野さん:現在に至る前の事業の話からしますと、以前は、明石駅前で高知出身の親父が営んでいた喫茶店を継いで、1978年に皿鉢料理「マル一(イチ)」を開店しました。

    当時は、まだめずらしい皿鉢料理の広報と高知人の懇親を兼ねて、明石の土佐人に声をかけて、東播土佐人会を結成しました。その後、伯父が神戸高知県人土陽会(以下、土陽会)の会員だったので、ご縁があって土陽会の会員になりました。そこでの出会いが、不動産業に転身するきっかけになっています。

     

    土陽会入会が不動産業に転身するきっかけに

    土陽会の総会で挨拶する津野さん

    ─現在、津野さんは、神戸高知県人土陽会の第5代会長に就任されておられるんですよね。土陽会の運営に携わるようになったのは、何がきっかけだったのでしょうか?

    津野さん:1980年に土陽会50周年の記念総会が催された際に「一緒に土陽会を運営しないか?」とお誘いいただいたことがきっかけです。そのときにお声をかけてくださったのが、初代会長の公文適先生でした。

    公文適先生は公文病院の医師で、私が土陽会に入会して間もない頃にご紹介いただいたご縁があります。

    ─ですが、当時は「マル一」を経営されていたんですよね。

    津野さん:そうです。マル一は100人が入る大箱店舗だったこともあり、総会会場としてもずっとご利用いただいていました。その後、商業施設の屋上でビアガーデンを展開するまでに事業成長していきました。

    経営がうまくいき、順調に店舗数も拡大。当時、明石で草分けでもあったジャズクラブも運営していました。というのも、私は、地元・明石高校の吹奏楽部OBで、学生時代はトロンボーンを演奏していたんですよ。ジャズクラブの運営は、音楽好きが高じてのことでした。

    記念総会でジャズオーケストラをバックに熱唱する津野さん

    ─その頃から土陽会とのつながりが強くなっていったんですね。

    津野さん:ちょうどそのころ、たまたま出入りの酒屋から居酒屋の土地を探していると相談されたんです。ニーズに合った病院の売り物件があったため、公文先生にご相談したところ、話をつないでいただいた経緯があります。それが不動産業へ転身する発端になった出来事でした。

    そして、時代がバブル期に入り、1991年に不動産に携わるようになったんです。60歳で宅地建物取引業の免許を取得し、飲食業から「山陽立地株式会社」に転身しました。かれこれ30年以上、不動産業をしています。

    ─60歳で宅建合格とは努力家ですね。どのような経緯で現在の不動産を持たないスタイルになったのでしょうか?

    津野さん:自分自身のために大きな物を買うのは、夜も寝られなくなるほど判断がつかないんです。ところが、人のためなら容易に査定ができました。不動産を通して人のお世話をするのが自分の性分に合っていたんです。そうして、依頼を受けてから不動産を探す、現在のスタイルになりました。おかげさまで、買い手もつくようになり、信用を築き上げられるようになっていきました。

    ─土陽会の人脈が現在の不動産業につながっていったんですね。

    津野さん:土陽会にはありがたさしかありません。高知人と言いながらも、親父も僕もお酒は飲みません。それでも県人会にお誘いいただいてから、確固たる絆が土陽会でできあがっていました。

     

    日本初!龍馬検定「龍馬 IN KOBE」を開催

    龍馬検定「龍馬 IN KOBE」

    ─土陽会ではどのようなことをされましたか?

    津野さん:総会や運営のほかには、目玉の一つとして2004年に日本で初めての龍馬検定「龍馬 IN KOBE」を開催しました。「龍馬検定 神戸編」として4択問題の中から間違いを1つ選ぶという方式です。

    ─設問数はどれくらいあるのでしょうか?

    津野さん:100問です。神戸海軍操練所など、坂本龍馬にまつわる歴史的な設問ばかりを揃えました。今まで全問正解できた方は1人だけです。2010年には「龍馬さんへの手紙 一筆啓上つかまつり居候」と題し、よみうり神戸ホールでベスト5名の大賞選考会と、龍馬研究家の土居晴夫さんを迎えて「坂本龍馬いろは丸始末―賠償金の行方」の講演会を開催しました。

    ─坂本龍馬ファンには、たまらない検定やイベントですね。今後の事業展開や目標は?

    津野さん:今80歳で、息子3人はそれぞれ自立しているので、会社の後継者はいません。ただ最近は、兵庫県が立地情報の提供や相談業務を行う機関「ひょうご・神戸投資サポートセンター」で企業進出のサポートをしています。できれば、生涯現役という気合いです。

    ─津野さんご自身には、高知の思い出はありますか?

    津野さん:高知というと、とても血が騒ぎます。僕は兵庫県明石市生まれですが、親父が高知県須崎市出身の5男坊でした。須崎市は、絶滅種のニホンカワウソの「しんじょうくん」が有名なところ。大正生まれの親父の話では、新荘川で一緒にカワウソと泳いでいたそうです。

    また、明治を生きた祖父の時代では、人の土地を踏まずに駅まで行けたというくらい、父方の実家は土地をたくさん持っていたようです。祖父はいろいろな事業に手を伸ばしていたと聞いていますが、なかなかに波乱万丈な人生を送っていたようです。

    ─おじいさまの思い出話の中で、特に印象的なエピソードはありますか?

    津野さん:船で玄界灘へ漁に出たときの話です。玄界灘で転覆して、命からがら戻ってきたことがあったと聞きました。とても運の強い人です。僕は、そうした祖父のDNAを引き継いでいるためか、土地との相性が良かったのかもしれませんね。

    高知人父の思いを引き継ぎ 県人会として高知へ貢献

    神戸高知県人土陽会の旗

    ─DNAレベルで刻まれた高知県への思いが伝わってきます。高知へ恩返しする構想はありますか?

    津野さん:皿鉢料理店の開業や県人会結成は、高知県出身の親父への孝行の一環として始めました。親父はとても喜んでくれました。高知生まれではない僕が、神戸高知県人土陽会の会長をしていることが高知県への恩返しだと思っています。

     

    企業情報

    山陽立地株式会社

    代表:津野 伸一 

    住所:〒674-0074 明石市魚住町清水111-1-101

    TEL:078-946-4120

    FAX:078-939-4895