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【高知グルメPro】江戸時代スイーツがいただける創業天保八年シナモンの香りただよう「澤餅茶屋」

この情報は2025年4月6日時点の情報となります。

フレンチにエスニック、割烹にとんかつ、居酒屋から立ち食い蕎麦まで、年間700軒食べ歩き、料理評論、雑誌寄稿、ラジオ、テレビ出演を超多忙にこなす、食べるプロ「食いしんぼおじさん」ことフードジャーナリストのマッキー牧元さんが高知の飲食店・生産者さんをまわって紹介する高知家の〇〇の人気連載記事「高知満腹日記」。今回は、創業天保八年(1837年)、高知県香南市にある「澤餅茶屋」で高知県民LOVEなお餅をいただいてきました。

一個食べて、気がついたら、二個目に手が伸びていた。

止まらない餅菓子である。

高知市内から東へ車で約50分、「手結山の餅」という呼び名で、高知の人たちからこよなく愛されている餅だという。

「10個1300円をください」というと、店員が木箱に収まった餅を取り出し、優しい手つきで包んでくれる。

次から次へとお客さんが来るが、最初から6個入りと10個入りができているのではなく、注文ごとに包む、その丁寧さがいい。

買ったら、すぐに広げて食べた。

白い餅饅頭を一個手に取る。

表面が赤ちゃんのほっぺたのような、つたない柔らかさがある。

一瞬、触ってはいけないと思う、禁断の柔らかさでもある。

力を入れて掴んじゃいけないよと、餅が言っている。

そうっと掴み、口に運ぶ。

粉と共にふんわりと唇ふれて、歯が抱かれ、あんこが出てくる。

餅だが粘らない。

つうっと伸びることもない。

モチモチしすぎずに、優しく、歯が沈んでいくだけである。

その食感がなんとも心地よく、噛むことを忘れてしまうほどであった。

そして12回ほど噛むと消えていく。

すると、ニッキ(シナモン)の香りがほんのりと漂いはじめる。

餅にシナモンの香りを混ぜているのであった。

かけがえのない食感、あんこの優しい甘み、ニッキのスパイシーさ、暖かく、粉っぽく、甘い香りが重なり合う、どこにもない餅菓子である。

そのはかなさに、しばしうっとりとなる。

だが本能は、再びはかなさを求めているのだろう。

気がつけば、手がもう一個をつかんでいた。

これが江戸時代から、多くの人を魅了してきた餅饅頭なのか。

創業は天保八年(1837年)であるから、もう188年も続けられていることになる。

12代将軍、徳川家慶の頃であり、土佐藩主は山内豊資であった。

天保の大飢饉の後、大塩平八郎の乱があった年である。

江戸時代のなかでも、もっとも苦難の時代に生まれたのだ。

これは高知の貴重な財産であろう。

参勤交代の街道が、元は山の中にあって、この餅を提供してきた。

この頃の様子が餅の包み紙に描かれている。

今でも杵と臼を使い、毎日二千個作るのだという。

ニッキの香りを餅に入れるのは珍しいが、昔は山に肉桂の木があって、それを利用していたという話だった。

餅は当時、希少なものだっただろう。

一部の武士や裕福な商人しか、白米を食べていなかった時代である。

ましてや餅などという手間のかかるものは、正月しか食べない超贅沢品であった。

それがここに来ればいただける。

農民にはほど遠く、庶民でもなかなか手が届かない食べたいものだったかもしれない。

店主の澤さんご夫婦にお聞きした。

餡に砂糖を入れたのは、戦後からだという。

それまでは小豆の甘さだけで食べていた、もっと素朴なものだったという。

それも食べてみたい。

一度でいいから復活生産してくれないかなぁ。

ちなみに、作って半日たった餅を食べてみたが、少し硬くなっていた。

この餅は、店に行って、その場で食べるのが、最も美味しく食べられる方法である。

もしくは、大至急、家か宿に戻って食べる。

どうしてもすぐに食べられなかったり、余ってしまった場合は、一個ずつラップに包んで冷凍する。

食べる3時間前に冷凍庫から出し、自然解凍して元に戻すのがベストだということである。

あるいは冷凍のまま、オーブントースターか魚焼きグリルで焼くのも、ありだという。

そうすれば、外の餅はカリッと香ばしく、中のあんこはホクホクして熱い、別の魅力を持った餅になるだろうな。

ああ、それも捨てがたい。

店舗情報

澤餅茶屋(さわもちちゃや)

住所:高知県香南市夜須町手結1468

電話:0887-55-2948

定休日:火曜日・水曜日

営業時間:8:00~15:00(お餅が無くなり次第終了)