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【三山ひろしのさんさん歩 】平和の大切さを戦争経験者から学ぶ!戦争遺跡「掩体(えんたい)」

この情報は2023年12月23日時点の情報となります。

    高知県出身の紅白演歌歌手・三山ひろしさんと、さんさんテレビ・川辺アナウンサーが三山さんのふるさと高知県をゆる~くお散歩。前回の記事に引き続き、三山さんが生まれ育った町・南国市(なんこくし)へ。

    三山ひろしさんが生まれ育った南国市に残る戦争遺跡とは

    三山さんと川辺アナがお散歩しているのは、三山さんの地元である南国市。

    今回は、さんさん歩の放送日である12月8日にちなんだロケが始まるという…

    ※前回の記事は、本記事の最後からご覧ください

    12月8日は「太平洋戦争が始まった日」。

    平和の大切さを学ぶべく、戦争を身を持って経験した方に、貴重なお話しを伺うようだ。

    2人が足を運んだのは、前浜防災コミュニティーセンター。

    そこには1人の人物が待ち受けていた…

    それは、南国市観光案内人(観光ガイド)の藤本眞事さんだ。

    太平洋戦争が始まった頃は、まだ小学4年生だったという藤本さん。

    子供の頃に体験した壮絶な出来事を2度と繰り返して欲しくない!という思いで、戦争経験のある、戦争遺跡の観光ガイドとして現在は活躍している。

    今回、三山さんと川辺アナがガイドしていただく場所は「掩体(えんたい)」と言われる戦争遺跡があるところ。

    掩体とは、敵の攻撃から自分たちの戦闘機を守るために作られた格納庫のことである。

    実はこの掩体、戦争当時は南国市に40基ほど存在していたというが、木や竹で作られた「掩体」は戦後すぐに取り壊され、現在はコンクリートで作られた7基のみ戦争遺跡として大切に残されている。

    2006年には南国市史跡に指定され、歴史的な価値や意義を持つ建造物として町全体で大切にされているのだ。

    なんと掩体作りに携わった経験があるという藤本さん。

    いつも遺跡を案内する際は、実体験を交えて掩体の紹介をするそうだ。

     

    痛ましい記憶が蘇る!弾痕が残された掩体

    南国市に7つある掩体の中で、一番大きい掩体があるという場所へ向かった。

    戦闘機の大きさに合わせて作られている掩体の大きさは大小さまざまだが、大きいものは想像を超える巨大な姿をしていた。

    数ある掩体の中でも、戦争の記憶がいまだ鮮やかに残っているという1号掩体も拝見。

    掩体の側面を見ると約60個の弾痕が残っている…

    1号掩体だけは他の掩体と異なり逆向きに配置されていたため、北西からやってくる敵機から丸見えの状態だったそうだ。

    そのため、集中的に攻撃を受けた跡が今もはっきりと残っている。

    飛び交う敵機と降り注ぐ弾丸に、当時は皆が恐怖に怯えたという。

    戦争を経験した藤本さんから「世界が平和でなければならない!平和を望む“喋らない生き証人”として「掩体」が存在している。これからも未来に向けて大切に守っていくことが大事。」とのお話しを聞き、心から平和を強く願う三山さん。

    掩体がこれからも戦争の痛ましい記憶を残し続け、平和の価値や重要性を示し続けてくれることを願うのであった。

    今回のさんさん歩はここでお開き、次の「さんさん歩」はどこへ行こうか?次回の記事もお楽しみに。

     

    南国市観光案内人の会
    住所:高知県南国市大そね甲2301
    電話:088-855-3985

    情報提供:高知さんさんテレビ
    文/さたけゆうや