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【高知グルメ】「珈琲の魅力を伝えたい」薬剤師でもある店主の想いが詰まった「気ままに珈琲」ほっとこうちオススメ情報
この情報は2019年3月31日時点の情報となります。
立ち食いそばから割烹、フレンチからエスニック、スィーツから居酒屋まで、年間600回外食をし、料理評論、紀行、雑誌寄稿、ラジオ、テレビ出演を超多忙にこなす食べ歩きストのマッキー牧元さんが高知の食材・生産者さんをめぐって紹介する「高知満腹日記」。
また愛すべき変態職人と出会った。
塩づくり職人の、田野屋塩二郎さんである。
塩二郎さんが、ほかの製塩職人と違うのは、オーダーメイドで塩を作っていることにある。
シェフに来てもらって食材を見せてもらい、依頼を受ける。
そして、その食材や調理法、味付けや提供方法に応じて塩を作るのである。
もう始められて10年は経つが、2,000種類は作ったという。
これだけの塩の種類を作った職人は、おそらく世界でただ一人だろう。
塩二郎さんは東京広尾の出身で、35歳の時に日本一の塩職人になろうと決意して、高知に移住した。
元々サーフィン関係の仕事をしていて、将来は海の近くで仕事をしたいと考えていたという。
70歳まで働くとして、35歳は中間の年だから、今までの仕事を辞めて新しい仕事につこう。
思いついたのが塩職人と大間のマグロの一本釣り漁師だった。
ところが調べていくうちに、大間はブランド力が強すぎて、腕があるからと言っても何年もやらないと、仲間には入れないことがわかった。
そこで当時日本一の塩職人と言われていた黒潮町の吉田さんに弟子入りをした。
元々塩に興味があったわけではない。
「塩づくりなら海の近くで仕事ができるし、原材料は無料。もし売れない塩を抱えても腐ることはないと思い、決めました。そして作るなら日本一を目指そう。そう考えて、日本一の吉田さんに働かせてくださいと頼み込み、弟子入りさせていただきました」
2年間働くうちに、次第に塩の触り方が吉田さんと一緒になっていくのがわかった。
ここからは自分の塩を作ろうと、やはり2年で独立することを決めた。
しかし塩を作る場所が見つからない。
高知のあらゆる土地に行って行政に頼み込むが、よそ者への不安があって、土地を貸してくれない。
唯一、田野町だけが貸してくれることになった。
町長自らが出て来て、「是非日本一になってくれ」と、言われたのである。
そのことを師匠の吉田さんに報告しにいくと、吉田さんは紙にすらすらと「田野屋塩二郎」と書かれて、言われた。
「お前はこれから本名を使わず、田野屋塩二郎の名でゆけ。お前が世界で有名になったら、拾ってくれた田野町が一緒に世界に出て行くから、恩返ししろ」。
こうして塩づくりが始まった。
一年たち、初めての塩ができた時、連絡があり、東京で「世界塩のコンテスト」があるから出品しないかという話が来た。
しばらくすると、「あなたの塩が日本一になりました。表彰式に東京まで出て来てください」と、連絡があった。
ところが彼は、辞退する。
「今これをいただいたら天狗になってしまう。だから申し訳ないけど辞退させてください」。
辞退はしたものの、一位になってしまったことで日本一になるという目標を失ってしまった。
道が見えなくなってしまった。
そこで考えたのがオーダーメイドである。
料理人は、塩の種類がありすぎて困っているという話を聞く。
ならば、彼らが使いやすく、彼らの料理や食材を生かす料理を作ろうと、考えた。
そうして10年、今は海外の高級レストランからも注文が入り、200〜300のレストランと付き合っているという。
海水だけでなく、様々な海産物や果物、野菜を加えても塩を作る。
見せてもらった時には、蟹の甲羅やいちごなどを合わせた塩の箱があった。
中には、塩の値段としては考えられないような価格のもあるという。
例えば、ゆずを絞って1年寝かし、できる上澄みだけを100リットル使って塩を作ってくれ、というとんでもない注文も来る。
一番難しかったのは、30センチの結晶を作ってくれという注文だったという。
だがそれも、一年苦労して作り、壊れないように手持ちで東京まで運んだ。
味わいで目標としたのは、人間の血に近づけることだったという。
血のミネラルの比率を人間に合わ
せる。目指すは羊水の比率である。
海を抱えている人間のミネラル比率に合わせることによって、そのままなめたらしょっぱいが、丸く馴染む、優しい塩ができるようになっていった。
オーダーメイドは、それを基本に粒子の大きさやミネラル比率を変えていく。
食材を味わい、これくらいの脂や旨味か、ならば甘みや苦味、酸味をこうしようと計算をしていく。
あとは、塩を混ぜる時に、色や匂いを見たりして決定するのだという。
海水は、80種類のミネラルを含み、そのミネラルをどの時期にどれを組み合わせるか、脱水の時にどのミネラルを抜くか、脱水するときの布目の大きさなどを計算して作る。
また粒子の大きさも様々に変える。
誰が塩を振るか、塩を振ってからの提供時間はどれくらいかを考えて、粒子を決めていく。
中には、パーテイーなどで食べる人の時間が様々だったりするケースもあり、その場合は三種類の粒子の違う塩を一つの箱の中で作っていく。
「よくどうしたらその大きさになるのですかと聞かれるんですけど、僕もわかんないんです。文章に書けない」。
「手の感触はあるがそれだけでない。カンというか、混ぜている時に一種のトランス状態になって、こういう大きさになれと念じながら混ぜていくとそうなる。だから見習いやお弟子にも教えられない」。
「同じにやっても、手の大きさや温度、力加減もあるんで同じには仕上がらない
。よく弟子から、おんなじようにやってもできませんと言われるんで、その時は。わかった、好きなようにやりなさい。その代わり休みも取らず毎日やりなささいといいます。そうして2〜3年するうちにできてくるんです」。
市販の塩二郎さんの塩もあって、粒0.2と0.8の二種類が、田野町の道の駅と空港(品切れが多いかも)で売っている。
購入して使ってみると、塩が主張しない。
食材に静かに浸透して、そのものが持つ甘みや旨味を持ち上げる。
人間が根源的に美味しいと思う、栄養分の味わいが生きて来る塩なのだ。